スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

中国派遣教師の会

 私は、1973年、30歳で神奈川県の高校の教師として採用され、60歳の定年退職まで、30年間を神奈川県の高校に勤務しましたが、1985年から87年までは県の教育委員会から、南京大学に日本語の教師として派遣されました。その時の経験が、2003年から今に到る台湾での仕事につながっています。私が台湾に来た理由については、2013年4月1日の「私が台湾に来たわけ」に書きました。 http://taiwanyuri.blog.fc2.com/blog-entry-219.html

 私は、神奈川県が中国に国語の教師を派遣し始めて6年目から8年目の派遣教師ですが、昨日紹介した「メアリー・カサット展」に行きましたのは、実は、その「派遣教師の会」に出席するために、横浜に出たついでに立ち寄った、という次第なのでした。「派遣教師の会」は、中華街の「翡翠楼別館」というところで行われました。

20160821-1.jpg

 「翡翠楼新館」は、中華街のメイン・ストリートと並行に走る「関帝廟通り」、関帝廟の斜め向かいに当たる所にあります。リストに載っている飲み物は「飲み放題」で、それなりのお料理が出て、会費は6000円、しかも部屋の使用は「2時間半」という約束が、「いつまでいてもいい」ということに変わり、私達参加者は、神奈川県国語教員の中国派遣事業の来し方行く末や、中国での思い出話や今の生活など、様々なことを語り合いました。

 日中平和友好条約の調印や、文革から脱却した中国の開放政策によって要請を受け、「民際外交」の一環として、1979年に神奈川県は5人の高校の国語教師を、遼寧大学、大連外語学院、、南開大学(天津)、南京大学、四川外語学院(重慶)に派遣しました。翌80年には、2人の教師を(太原の大学、1年後に)北京第二外語学院と上海外語学院に派遣し、しばらくは2年ずつの勤務、5人、2人というローテーションで、7大学に教員を派遣する事業が続いていました。
 1985年に派遣された私は、南京大学に派遣された、4番目の教師ということになります。
今のウエブサイトに掲載されている、南京大学の様子です。

20160821-2.jpg

 しかし、時の流れと共に、中国も博士号を取得した教員を求めるようになり、神奈川県も経済的に苦しくなって、予算が逼迫していく中で、国語教師の派遣事業は縮小に縮小を重ね、今年は神奈川県と友好県である遼寧大学に一人派遣されるだけ、ということになってしまいました。(汚染や治安への不安から、教師の方がなかなか中国に行きたがらない、という事情もあるようです。ちなみに、1985年は上記5大学への5人の募集に対し、13人の応募がありましたのに、今年は希望者がなく、管理職から直接声を掛けられて、漸く決まったという状況だったようです。)
 
 中国の学生達が、日本文学や古典を学び、日本の精神に触れたいというのではなく、「役に立つ日本語」を学び、その事によって、よりよい自身の将来を描き、自国(中国)の近代化に貢献したい、と願っていることは解っていました。ですから、卒業生の一人が、通訳として来日し、「先生が教えて下さった日本語を食べて生きていますよ」といたずらっぽく言ってくれたときは、とても嬉しかったです。その学生とは、今も交流が続いています。
 その学生だけではなく、私が1月に乳癌の手術をしたときには、クラス全員(16人!)が励ましと健康祈願のメッセージを送ってくれ、花籠を贈ってくれたことには、本当に教師冥利に尽きることだと、感謝しています。東京に住む卒業生は、手術室の入り口まで送ってくれさえしたのでした。

20160821-3.jpg

 けれども、「国家」というレベルで考えるとき、私達派遣教師が少しでも役に立ちたいと願った中国が、近代化と経済成長を重ねた結果、任務を終えて帰国した約30年後に、こんなにお化けのような攻撃的な国になってしまったことには、複雑な思いを懐かざるを得ません。これは、私だけではなく多くの帰国教員の思いでもあり、派遣教師の会への出席が少なくなっている理由の一つではないかとも思われるのです。
 「国と国との間が、険悪になっている今であるからこそ、派遣される先生は、学生達との間によい関係を築き、真の民際外交に貢献して下さい」と激励なさる先輩教師もいました。

 「翡翠楼新館」のお料理は、それなりで、「エビチリソース」(右手奥)など、いかにも日本に典型的な「中華料理」も出されました。台湾料理では、海老は多くの場合塩ゆでにしますので、中華料理屋さんで「エビチリ」を食べると、日本に帰ってきた、という気がします。

20160821-4.jpg

 豚肉と野菜の炒め物が出てきたとき、中国の食堂車で、初めて「キュウリと卵の炒め物」を食べ、「キュウリに火を通して調理するんだ!」と、びっくりしたことを思い出しました。

20160821-5.jpg

 お店の名誉のために書きますが、料理は「フカヒレスープ」「魚の揚げ物」など、他にも何種類か出ました。
 「翡翠炒飯」は、このお店の得意料理だそうです。チャ-ハンの上に、ほうれん草と片栗粉でとろみを付けたスープを掛けた、調理法です。エノキダケと海老が入っています。私が撮った実際の「翡翠炒飯」は、その回りに食べかけのお皿などがあって、余りきれいではありませんので、お店のポスターで紹介します。

20160821-6.jpg


 中国への国語教師の派遣事業が先細りとなってしまったために、実は1980年代、90年代に派遣され、已に退職してしまった教師の方が遙かに多いのですが、幹事をして下さったのは、一昨年帰国した、現役の二人の先生でした。(昨年まではまだ、二人の派遣でした。)
 ご一緒した最寄り駅までの帰り道、その先生に「中国での生活より、帰国してからの日本での勤務が辛い」と打ち明けられ、私も1987年に帰国したとき、管理の「縛り」が強く、時間の制約が大きい日本での勤務が辛い、と「逆カルチャーショック」に悩んだことを思い出しました。
 
 台湾での仕事を終えて帰国した後も、十数年過ごした台湾での生活に慣れ過ぎて、私は再び逆カルチャーショックに悩むのではないかと、少し不安を覚えています。
 

コメントの投稿

非公開コメント

アクセスカウンター
プロフィール

濱屋方子

Author:濱屋方子
FC2ブログへようこそ!

濱屋方子の書籍紹介
日本語における「挨拶」の諸相
   日本語における
  「挨拶」の諸相
副詞・摘み草
   副詞・摘み草
最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。