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静宜大学の校友会(同窓会)その2

 1921年、アメリカから派遣された6人の修道女によって、中国、河南省の開封に、中華と美国(米国)の名を冠した「華美女子小・中学校」が創立されました。

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 その年から数えれば、今年は95周年となります。けれども中国内部に国民党と共産党の内戦が起こり、宗教を敵視する共産党が勝利した1948年に、修道女達は台湾に逃れ、台湾の地に「天主教英語学校」を建てました。そして、1956年、学生達に正式な学位を授与し、将来進学できるようにするために、「静宜女子英語専科学校」を設立します。この年から数えて、今年2016年は、「甲子慶(60周年・還暦記念)」に当たります。下はそのお祝いのカレンダーです。この日の出席者に学校からのプレゼントとして配られました。
 
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 「静宜女子英語専科学校」は、後に「静宜女子文理学院」「静宜女子大学」「静宜大学」へと発展してきました。「静宜大学」という名前は、創立者の、Madre Marie Gratia Looking(マザー・ルーキン)の中国名、「陸静宜」によります。英語名の“Providence University”は、6人の修道女達を派遣した修道会から付けられました。

 このようなバックグラウンドから、静宜大学の前身、「静宜女子大学」や「静宜文理学院」の卒業生達は、英語がよくでき、カトリック教育に基づく淑徳のしつけが行き届いた女性として、台湾の若い男性の憧れでもあり、社会に高く評価もされて、

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「静宜の卒業生をお嫁にもらう」というのは、その家の誇りでもありました。
 ですから、静宜大学が男女共学になってからの若い卒業生は、「女子大時代の学姐(女子の先輩)方からは、『奥様オーラ』が出ていますよね」と言います。その上、私と学長夫人とが英語で話していると、そこに奥様と同年配の日本在住の卒業生が英語でパッと加わったりして、「日本で暮らしているからには日本語は当然できるとして、(家庭の奥様が)英語もできるなんて、スゴいわ!」と賛嘆措く能わず、といったところなのでした。

 下の写真は記念撮影の準備中の様子です。最後に全員で記念写真を撮り、同窓会は「お開き」となりましたが、

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若い卒業生の何人かは、先輩方に誘われて、二次会のお茶会にも行ったようでした。

 「若い卒業生」と言えば、若い卒業生の中の二人は、学年は違いますが、曽煥棋先生の導師班(担任クラス)の学生でした。曽先生は豊富な人生のキャリアと人脈を活かして、学生達の就職や進学の世話をしてお上げになり、二人も就職と進学を世話していただいた学生なのでした。一人は曽先生に会いたくて、大阪から駆けつけました。私との「ご縁」は、まだ私が静宜大学に就職するという話もなかった頃に、鹿港に連れて行き、通訳をしてくれたことからでした。

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 もう一人は、4年生の時、私が「会話」を教えた学生でした。その頃は甘えん坊のお嬢ちゃんでしたけど、臆せず日本語を話す、気持ちの強さがありました。そして今は、日本の会社で働き、苦労もたくさんして、安心して見守れる、立派な社会人になりました。

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