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『海賊とよばれた男』 上巻

 百田尚樹著『海賊とよばれた男』は、字が大きくて、飛行機の中でも読みやすそうだったので、成田空港の本屋さんで買い、それにも拘わらず、飛行機の中ではスチュワーデスさんが持ってきてくれた週刊誌に読みふけって、結局「積ん読(つんどく・読まずに積んでおく本)」になっていた本でした。
 読んでみたら、スゴかったです!

 『海賊とよばれた男』の主人公は石油を商う国岡商店の店主、国岡鐵造ですが、実は、実在した出光興産社長(店主)の、出光佐三(いでみつさぞう)氏です。本書は、青春、朱夏、白秋、玄冬の四章からなり、上巻は「朱夏」から書き起こされて、「青春」に戻ります。
 
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 第一章「朱夏」は、日本の無条件降伏で終わった第二次世界大戦(或いは太平洋戦争、或いは大東亜戦争)の敗戦時から始まります。時に1885年(明治18年)生まれの国岡鐵造は、60歳、還暦を迎えていました。
 国岡商店は、国内に8店、満州、朝鮮、中国、フィリピンなどに62店の営業所を持っていました。そのため敗戦によって、他の石油会社とは比べものにならないほど、大きな打撃を受けます。社員約1000名中700名弱は海外の支店に勤務していました。
 敗戦の翌々日、鐵造は社員を集めて、「愚痴を止めよ。愚痴は泣き言であり、亡国の声である。…全てを失おうとも、日本は必ずや再び立ち上がり、世界を驚倒させるであろう」と励まし、「直ちに建設にかかれ」と檄を飛ばしました。

 鐵造には「社員は家族である」という確固たる信念があり、創業以来、出勤簿も定年退職も、馘首もありませんでした。戦後のこの苦境の時も、一名の馘首もなく乗り切ったのは、信念を貫き通す鐵造の一面をよく表しています。下の写真は功成り名を遂げた出光佐三氏です。

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 そうは言っても、敗戦国日本に石油を扱う仕事はなく、ラジオ修理など様々な仕事をしたり、鐵造が蒐集した美術品を売ったりして凌いでいました。日本政府はGHQ(第二次大戦後、連合国軍が日本占領中に設置した総司令部)にアメリカからの石油輸入を懇願しましたが、にべもなく断られ、何度かの懇願に、GHQは「旧海軍の石油タンクの底を浚え」という覚え書きを発しました。石油タンクの底には、雨水や汚泥に混じった石油がわずかにありますが、ガスも溜まっており、それを浚うのはキツイ・汚い・危険の「3K」で、旧海軍でさえしようとしなかった仕事です。無論アメリカ軍もしません。日本の石油会社のどこもが尻込みする中、国岡商店だけが名乗りを上げました。そして、筆舌に尽くしがたい辛い仕事に国岡商店の社員は挑み、しかも笑顔さえ見せながらやり遂げます。その事から、国岡はGHQからも一目置かれる存在となりました。
 そのため、戦時中に作られた「石油配給統制会社(石統)」と商工省が、新しく作ろうとしている「石油配給公団」から国岡商店をはずそうとしている設立要領を読んだGHQは、石油タンクの底浚いを成し遂げた国岡商店をはずすこと事を許さなかったのでした。国岡商店も漸く石油の配給指定業者の認定を受け、本来の石油販売の仕事に再出発ができるメドが立ちました。1947年(昭和22年)のことでした。

 上巻の後半、第二章「青春」は、時を遡り、国岡鐵造の少年時代から、神戸高商(現、神戸大学)で学び、

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卒業後は小さな石油店の丁稚から仕事を初めて、石油販売店の事業を興し、「石統」の傘下に入って統制を受ける事を嫌い、海外に雄飛して成功するまで、そしてその後、敗戦により日本も国岡商店も全てを失うまでの話です。
 この中で驚いたことは、国岡が神戸高商(現神戸大学)の学生だったとき、国岡を息子の家庭教師として雇っていた日田重太郎が、国岡の独立資金6000円(当時国岡の給料で言えば20年分)を提供してくれたこと、更に最初の3年で日田からもらった6000円が底を突き、廃業せざるを得ない、と訴えたとき、日田は、家を売ってでも支えてあげる、どうしてもだめっだったら二人で乞食をしようや、と言い、無償でさらなる資金の提供を申し出てくれたことでした。国岡は、必ずや成功する、との決意を新たにします。

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 捲土重来を期した国岡は、それまで灯油を使っていた小型漁船に、経済効率のいい軽油を売ることを思いつきます。時に国岡は門司に店を構えていましたが、瀬戸内海の海上に小型船をこぎ出し、海上で給油しながら軽油を売ることで、「日邦石油(日本石油)の特約店は、他の特約店の売り場を荒らさない」、という協定に反することなく、下関を漁港とする日本水産の漁船にも、軽油を売ることができました。国岡は人々から、「海賊」と呼ばれるようになりました。
 国岡商店は、あくまでも自由な販売競争を求めて、「石油配給統制会社」にも属さず、官僚の天下りも受け入れず、銀行からの出向も受け入れませんでしたから、国内での販路から締め出されていきます。
 国岡商店は海外に販路を求め、アメリカのスタンダード社との技術競争に勝って、-20度でも凍結しない車軸油を満州鉄道に売り込むなど、大活躍をしますが、敗戦と共に、海外の資産の全てを失いました。

 鐵造は、アメリカとの戦争が、アメリカによる日本への石油の輸出禁止に絶望的に苦しんでいた日本が、石油を確保するために始めたものであり、圧倒的石油不足のために敗戦し、敗戦した今、いっそうの石油欠乏に苦しんでいる事を思って、「国力の中心となる重要産業は石油だ」と再認識します。そして、石油販売を通して、日本の為に尽くそう、と覚悟を新たにするのでした。

 以上が上巻の概略ですが、こういう人が日本にいた、ということに勇気を奮い起こされる思いです。下巻の紹介は、明日のことと致します。出光佐三氏の肖像は、You Tube 「昭和偉人伝 出光佐三 - 14.06.18」https://www.youtube.com/watch?v=KOKeeZIskrU
に拠りました。

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