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南京大学で過ごした思い出

 私は1985年4月から1987年3月まで、神奈川県教育委員会から、日本語の教師として、南京大学に派遣されました。神奈川県からの派遣として、私は、南京大学では4人目の教員ということになります。
 1979年から神奈川県は中国に高校の教師を派遣する事業を行っていて、私と同期に派遣されたのは、四川外国語学院、大連外国語学院、南開大学、遼寧大学に各1名、私も入れて計5名でした。(その内の一人は、既に昨年鬼籍に入り、5人で会ったのは2014年の夏が最後となりました。)

 5人は先ず北京に入国して、教育部に表敬訪問をし、少し北京の観光もさせていただいて、それぞれの赴任地に別れました。北京から乗った飛行機の窓から見ると、土色だった外の景色が、南京に近づくにつれて緑が広がってきて、江南の自然の豊かさが思われました。実際、玄武湖湖畔に柳が若緑の糸のように芽吹き、桃や海棠の花が咲き、

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南京大学の外国人教員アパートの庭に、フランス梧桐が甘やかな香りを放って紫の花を付けるとき、南京はうっとりするほど美しかったです。
 
 南京大学では、赴任当時3年生だった82年級と、その下の学年83年級の精読と作文を主として教えましたが、当時新進気鋭の教師でいらした王嵐先生のご希望で、84年級、85年級の学生達のための読本のモデルリーディングをテープに吹き込みました。代わりに私は、中国語を教えていただきました。
 87学年度、85年級は当時まだ1年生でしたが、クラス担任の王嵐先生のたってのご希望で、帰国前、南京での最後の学期に、私が会話も教えました。1年次から日本人が話す日本語に慣れさせ、日本語を話すことに抵抗感をなくさせたい、というお考えからでした。その中の一人に、今、南京大学日語学科主任として活躍していらっしゃる、王奕紅さんがいました。どちらかというと控えめなお人柄でしたが、たゆまぬ努力を続ける学生でした。

 南京大学のカリキュラムとして優れていると思ったことは、「精読」と「汎読」の両方を持っていたことです。私が担当したのは「精読」の方です。

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 「精読」のクラスでは、文法や語彙や表現等に注意を払い、緻密に読んでいきます。けれども、「汎読」の方は、細かい文法事項などは気にせず、たくさんの分量を読んでいくクラスです。外国語の読み方を上達させるには、この二つの方法が必要です。「精読」がなければ、正確な知識が身につきませんし、「汎読」がなければ、速度を保って読んでいくことができません。けれども、多くの教育機関では、一字一句を気にする「精読」にばかり、力を入れすぎるのではないでしょうか。そういう点から見て、南京大学が「精読」と「汎読」の二つを持っていたことは、学生達に、実際に使える日本語の力が付いて、とてもよかったと思います。
 4年生になると、私から200ページくらいの文庫本を借りて行って、一晩で読んで返す、という速読能力の高い学生もいて、感心しました。
 下の写真は82年級の学生達と校庭で撮りました。

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 南京大学の学生達の日本語の能力は、とても高かったです。最初にびっくりし、感動したことは、赴任間もなく、靴のヒールが減ってしまったので、修理してもらおうと思ったときでした。街に露天の靴修理屋さんはたくさんありましたが、私は中国語が全然できません。女子寮に通訳の依頼に行ったとき、ハルピン出身の2年生の学生が、「私がお伴いたします」と言ったのです。「お伴いたします」などと、日本人の学生でも言えないような美しい表現を、2年生がすらーっと、自然に言ったのには、本当に驚き、感心しました。

 日本語の能力が高いことには理由があって、それは学生達が選ばれて南京大学に入学してきた優秀な学生だったことに加え、夜を日に継いで勉強していたからです。朝は黎明の中を、大きな声で音読しながら歩いている学生達の姿を何度も見ましたし、教室に私がチャイムと同時に入れば、学生達は、既に読本を音読しながら私を待っていました。夜は夜で、夕食を済ますと、図書館や開放されている教室に向かい、消灯ぎりぎりの時間まで勉強している学生達の姿がありました。消灯の後も、明るいとは言えない街灯の下で本を読む学生もいました。
 私の43年半の教師生活の中で、「天下の秀才」を教える歓びを満喫したのは、南京大学での2年間でした。

 けれども学生達は、優秀なだけではなく、深い情愛も持っていました。学生達とは、卒業後30年が経っても今も交流が続いています。毎年お正月にカードをくれる学生もいますし、お中元やお歳暮を贈ってくれる学生もいます。
 1月に乳癌の手術をしたときには、東京に住む卒業生が、わざわざ病院を訪れて、手術室の入り口まで私を送ってくれました。また、退院後に82年級の学生達二人が、皆さんからのお見舞いのメッセージと花束を届けてくれて、本当に感激しました。

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 南京大学の日本語学科は、100周年を迎えようとしている外国語学院から見れば、まだ創設四十数年の若い学科ですが、卒業生の皆さん方の多方面でのご活躍を祈願すると共に、南京大学日語学科が、外国語学院と共に、ますますの発展を遂げられますよう、衷心よりお祈り申しております。


 実は、上の文章は、来年の外国語学院100周年記念誌の為に書いたものです。本来なら、記念誌が出版された後で私の文章をブログに載せるべきだとは思うのですが、記念誌が出版される頃には、恐らく私はもうこの世にいないだろうということと、記念誌の読者の皆さんと、私のブログを読んで下さる方々とは重ならないだろう、ということで、この文章が、記念誌の出版に先立ち、南京大学校友会(同窓会)のサイトに載った時点で、ブログに載せることを特別に許可いただきました。

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 南京大学での2年間は、忘れがたく、掛け替えのない日々であったと共に、2003年から今まで、私が台湾で従事している日本語教育の原点ともなりました。

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Re: No title

非公開希望のH様
はい、本当に南京大学での勤務は、私の40代での、よい思い出となりました。
この日々なくして、私が台湾で再就職することは思い浮かばなかったと思います。
そして、台湾では台湾の、南京とはまた趣の違った素晴らしい日々が与えられました。
台湾で、晩節を汚すことなく、教師生活を締めくくる事ができれば、ハッピーな人生だったと心から感謝できます。
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