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不治の病に罹った人への励まし方と慰め方…台湾と日本の比較

 この度乳癌が肝臓と骨に転移して、医学的には治療が難しくなった、という時点で、台湾の友人と、日本の友人との慰め方や励まし方に、大きな違いがあることに気がつきました。

 台湾の友人には、「医者から見放されて後1年といわれた人も、~という方法で治った人がいる、だからあなたもきっと治ると信じて、落ち込まないように」とか「You Tubeにもアップされていたんだけど、医者さん自身が癌になったとき、こういう体操で癌を著しく縮小させた」とか、「病は気から、と言うでしょう。あなたも「必ず治る」と気を強く持ってね」とかと、…つまり「死ぬことを考えてはいけない、治るという希望と、治ろうとする意志が大切だ」という励まし方をする人が多いです。

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 他方日本の友人には、「銀杏の葉が黄葉して、やがて皆散っていくように、私達も(年を取ったら)死ぬのが、自然ですよね」のように、(私もやがて同じ道を行くから)死を自然のこととして受容しようという誘(いざな)いとか、「あなたが、癌を抱えて台湾に向かった決断には私も同意です。中途半端にはしたくないとの気持ちは理解できますし、現地の人達への感謝の気持ちの表現でもあると思われます。気持ちをしっかりと持って(死から)逃げずに日々を過ごしてください」、のような、死に向かう事への励ましが多いです。
 極めつけは、スカイプで話したときの、主人のこの言葉でした。「あのさあ、70代で死ねば、周りの人から、少しは惜しんでもらえるよ!」…私としては、「アハハ、そうよね!」と笑うしかありませんでした。

 一言で違いを言えば、台湾人は、あくまでも恢復への希望を失うな、と励まし、日本人は、死を受容しやすいように、あれこれと気遣ってくれます。台湾人にとって、死は絶対の悪だし、日本人にとって、死は受け入れるべき自然だ、という生死観が、その根本にあるようなのです。

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 では、どこからこの「生死観」の違いが生ずるのでしょうか。

 一つには、台湾人の信じる宗教が、きわめて現世色の強い「道教」だ、ということが挙げられると思います。宗教の根本の一つは生死を考えることではないかと思いますが、道教には、「死は無視」といった感があります。写真は道教の廟です。

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 日本人の宗教全般について言うのは難しいです。日常的には、宗教と無縁の人も少なくありません。しかし仏教的な「諸行無常」という思いは、日本人の人生観、生死観の根底にあるのではないでしょうか。私自身はキリスト教徒ですが、死ねば天国に行ける、と信じているほどの善良なクリスチャンではなく、死ねばそれまでで終わり、生きている間こそ、よりよく生きさせて下さい、と神様に祈る程度のクリスチャンですから、「諸行無常」という観念も、まことにピッタリと腑に落ちます。
 
 台湾人と日本人の生死観の違いのもう一つは、私達を取り巻く自然の違いによるものではないかとも思うようになりました。
 台湾には、木という木が枝だけになってしまうような冬は来ません。12月になっても、榕樹(ガジュマロ)や樟の木を始めとした、常緑樹は緑豊かに生い茂り、

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色鮮やかで美しい花も

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随所に見られます。

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 多方日本では、春になると花が咲き、夏には緑が茂り、秋には紅葉や黄葉が目を楽しませてくれますが、それは生命の凋落の先ぶれで、やがて晩秋ともなれば木々の葉は死を思わせるかのように落葉し、木の枝だけが空を突き刺す、冬が来ます。

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 つまり、日本人は毎年、自然の移り変わりの中に、生命の推移と死を見ているのです。しかし、台湾人には、季節の推移から死を感じ取るということは、ない、と思います。
 台湾の学生、それも私から見て、詩を解し、とても繊細な心を持つ学生に、「日本人は冬の到来を予期させる「秋」を寂しいと思うけど、台湾人は秋の夕暮れに寂しいと思ったりするの?」と聞いたことがありましたが、その学生は、「いやあ、全然ないですね」、「冬は暑くなくて、一蕃いい季節じゃありませんか!」と答えました。

 このように四季を通じて、生命力溢れる自然の中に住み、「日々が、無事健康に豊かに生きられますように」という現世中心の道教を信仰の根幹に持つ台湾人には、「死ぬ」ということは考えたくない悪であり、不吉ですから、何としてでも生きる希望を持つべきだ、という思いが根本にあって、それが「あなたもきっと治ることを信じて、頑張りなさい。加油!」という励ましになるのでしょう。
 他方物心ついたときから、毎年冬の到来と共にいわば「自然が死ぬ」のを目の当たりにし、心の底に「諸行無常」の思いがある日本人からは、死を受容する方向への慰めや、或いは覚悟を促す言葉とが寄せられるのかと思います。

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死生観のこと

生死観は、台湾事情に合わせた(造語)でしょうか?。環境が、人の価値観を規定するとの例示、興味深く読みました。

ずっと昔、父の墓参の折、日本語が堪能だった阿母から聞いた事。「台湾の死者は、49日が過ぎると、魂は、何処かに赤ん坊として生まれる準備をする」でした。輪廻転生、この世の全面的是認に吃驚いたしました。台湾南部だけの(口承)かも知れません。

昨日届いたメールの老友の結び「イャー、長生きすると、不健康になるなぁー、やっと分かった」。我等が死生観です。

「生死観」の違いが良く分かりました

 日本と台湾の「生死観」の違い、とても良く分かりました。特に、気候、季節の移り変わりに感じる思いが「生死観」に影響を与えているという点、とても興味深く、かつ、なるほどと納得できました。

 命は限りあるもので、いつかは誰もが迎える死という現実があります。私は「その人がその人らしく生きて行けるように」と願っています。最後までその人らしく生きてゆくために、病気からくる苦痛が少しでも緩和されればと思います。先生のお体に痛みや苦しみが生じないこと、たとえ生じたとしても、現在の医学でコントロールできますようにと心より祈っております。

Re: 死生観のこと

詮索爺様
コメントありがとうございました。亡くなった人は、49日経つと、極楽に行くのではなく、誰かの赤ちゃんになってもう一度、この世に生まれる、というのは、スゴイ発想ですね。
でも、そういう虚構の中に生きて、それでハッピーでいられるなら、それはそれでいいのではないでしょうか!

Re: 「生死観」の違いが良く分かりました

いつも思いやりある、優しいコメントをお寄せ下さり、ありがとうございます。
私も、やがて病床に伏してからは、痛みや苦痛を除く緩和治療をしていただき、そのために残る時間が短くなっても、かまわないと思っております。今まで生きてきたこと、特最後の半年で、したいことが充分にできたことについて、とても感謝しております。
でも、Keiさんは、まだお若いです。お元気でご活躍なさいますよう、お祈りいたしております。
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